比較と判断

現代人は、何でも比較してしまいます。
比較は、情報量やモノ、ヒトが多くなりすぎたためにの選択をするための行為の一つかもしれません。
人間は一人一人異なる能力を授かって生まれてきていると考えます。

無意味な比較

人間を比較するということ、何かの焦点を絞るということだと思います。
走るのが速い人、食べるのが速い人、口の大きな人、背の高い人、足の短い人、人はそれぞれ違った容姿、物覚えの良い人、絵の上手い人、違った能力を授かって生まれてきます。
そのなかで、一番を決めたり、賞を出したりしますが、賞を受けた人は承認欲求が満たされるので気持ち良いでしょう。
例えば、歌がうまくて、曲が売れて、みんなから尊敬され、チヤホヤされるけど、実際の人格やその他の素行など、わからない部分がほとんどと思います。
これは、歌が売れて、お金がザックザックと入ってきているので、尊敬されているのだろうか?
ただ、歌がうまくても、誰にも知られなければ、歌が売れなければ、お金が入ってこないから、誰しもが尊敬されるわけではなさそうです。
東京大学に合格や卒業すれば、みんなは、一目おきますが、
まあ、日本一の大学ですから、ある程度の努力は必要で、大学のネームバリューでそこに含まれる人間が他の人と異なるのか、
そんなんで、人を比較、評価しても良いのだろうか?
人の評価なんて、ネームバリューというバイアス(かたより)を生じていても、判断に狂いはないのか?
選択をするための、一つの価値

えこひいき

誰かと誰かの成績を比べて、こいつの方が優秀だと単純に決めるのは、難しいし、無意味なことだろうと考えます。
たまたまラッキーな問題だったということもあるし、ペーパーテストだけで人を評価するのには無理があるだろうと思います。
こんなふうに、人選をするのは、
一つは、選考に要する時間と人選に使う思考が無駄だと思っているから
二つ目は、どうしてこの人を選んだのか、決定的な理由が欲しいから
三つ目は、誰を選んでも、結局そんなに違わないから
四つ目は、コネ(コネクション)で外部の人の関係者を選ぶ
私は、そんなふうに思っていました。
ただ、最近の企業には、人選に力を入れて、優秀な人材を獲得しているところもあると言います。
今後の、日本企業を支える存在になるのですから、重要な使命かもしれません。

企業の就職での人選ですが

本来は比較ではなく、人選でなくてはならないと思います。
企業の仕事の適性をみることが大切なことだと考えるからです。
数人の希望者が来た場合は、より自社にあった人材を求めるのであって、さまざまなバイアスによって決定するのは愚の骨頂だと思います。
でも、これは、本当に難しいと思います。
どうしても、バイアスによって、比較による選考をしてしまいますね。めんどくさいけど!

人間の比較対象には

さらに、人には、家柄、出身地、さらには、血液型など、人には自分自身が努力しても変えられないものがあります。
これについて、あれこれ言う個人がいますけど、自分には、全くわからないことですね。
そんなんで、人の評価が変わるなんて、さらに、名前の感じに変な文字が付いているからなんて、その人に失礼だと思います。
比較にはあまり関係はない事柄だと思いますが、

不完全な人間の判断

警察の逮捕、裁判官の判決、その他、人の人生を左右する重要な判定など、しっかりと、真意を考えて、理論的な判断をする必要があります。
さらに、判断の基準となる不完全な法律やルール、過去の裁判記録など、不完全の上塗りとしか思えません。
これらの判断を下す人たちには権力が存在し、同じ人間なのに、相手の人の人生に多大な干渉をします。
決定的な判断材料よりも、人間の感情(裏金や買収を含む)による判断も存在すると考えます。
恐ろしいことに、日本では、過去には、たくさんの冤罪(無実であるのに犯罪者として扱われてしまうこと)によって一生を台無しにされた人々がたくさんいると言われます。
ルールを適切に守っているにも関わらず、濡れ衣を着せられて、本人だけでなく、家族親族まで巻き込まれること、
罪は憎いことかもしれませんが、その根本である、犯罪はどうして起こるのでしょうか?

犯罪とは、罪とは、「人間がしてはいけない行い」、「法に触れること」となっています。
法は不完全なものと考えると、法を逃れながら人間がしてはいけない行いは、犯罪にはならない可能性があります。
法治国家の泣き所と考えます。
人間がしてはいけない行いとは、やはり、人を傷つける行為だと考えますが、本人以外にも、名誉や所有するものなども含まれます。
犯罪は、自分の感情でルールを破ってでも得たいものがある時に起きるのだと思います。
得たいモノ、目的、それは、承認欲求と考えることができます。(一部違うものもあるかな)

総理大臣への忖度、(各省庁が総理大臣のご機嫌をとったり)、他人を傷つけて(自分は危険な人物だから扱いには注意しろよ)、たくさんのお金を盗んで(俺にはお金がたくさんあるんだと威張って見せる)などなど、
やっぱり、人間って馬鹿ですね(すみません、自分も含みます)

現代の比較という行為は、選択肢が多すぎる

比較、判断に関しては、情報量が増えてくると、自分たちの人生の時間の多くを消費するようになってきました。
だけど、より有効で個人に最適な判断に近づいてきていることも確かかもしれません。
多過ぎることは、情報もモノも同じで「めんどくさい」ことですが、その判断をAIが肩代わりしてくれる可能性もあります。
ただ、AIがどのような判断基準で取捨選択するのかは、人間が管理する必要があると思いますが。

自分は比較や判断がとても苦手で、「めんどくさいこと」の上位に考えています。
だけど、選択する事ですが、自分の現在の今いるの状態は、誰のせいでもなく、すべて、自分が選択した結果なので『めんどくさい』と言ってはいられないのですが。

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