人生の主役は誰?

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何で、自分は人生の主役になれないのだろうか?
と疑問やめんどくさいを感じている人は、感性の優れている人だと思います。

私たち、日本人は、家族の考え方や学校教育など、他者にとって都合の良い人間となることが良いことであると、洗脳というなの教育を受けています。(過激な発言だな!)

他者からの頼み事

友達や近所の人など、こんなこと引き受けるのは嫌だな、でも断ると、いろんな嫌な噂を広められないか心配だし、今度会う時に会いにくいな。
こんなことを思ったことはありませんか?
断る的確な理由が簡単に見つかれば良いけれど、断る理由がうまく見つけられないときは困りますね。
誰かがやらなければならないけれど、
自分がしなければならない必要もないけど、
他の暇な人がすれば良いのに、
こんなことを考えだすと、自分だと面倒な問答を繰り返して考えるのがめんどくさいから、結局、頼み事を引き受けてしまうのだけど、
自己犠牲で成り立っていることは、何故かめんどくさいと考えてしまう自分がいます。

頼み事の内容

頼み事には、いろんな種類の物があると思いますが、めんどくさいのは、子供の学校の役員、町内会の役員、職場の委員会など、自分には興味が薄いところの人付き合いですね。
あとは、個人からのお金の貸し借りも、何となくめんどくさい感じがあります。

 

他人に干渉し、否定的 付き合わない

他人の感情に 振り回されない

なんで、他人のために、あれこれとめんどくさい事をしなければならないの?

社会のため、日本のため、世界のため、子供たちのため、みんなのため?

自己犠牲で世の中は成り立っているのですか?

このように考えると、他人の時間を生きることになります。
また、自己犠牲と考えると、他人にも同じことを強要することにもなります。

事実、自分のことをするときよりも、他人のためにするときの方が、自然にいっぱい努力をするように感じます。
強い意志を感じることが多いかもしれません。
この自己犠牲を考えていたときに、先の太平洋戦争で特攻隊に志願して散っていった若者のことを思いました。
家族のため、日本のために、自らの命を捧げた若者たち、
勇敢で、立派な若者だったのだろうと
でも、彼らの心には自己犠牲という気持ちはなかったのかもしれません。

現代の若者でも、同じ状況に置かれた場合は、そのような行動をとるのだと思います。

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